キン肉マンに今起こっていること
現在キン肉マン周りを騒がせている一連の騒動は非常にわかりづらいため一度整理させていただきたい。
今のキン肉マンは2011年から週プレNEWSというWEBサイトで「ネット連載」だけを続けていた。
紙の雑誌では一切連載されておらず、ネット連載のみの状態で9年間連載を続け「キン肉マンは今が一番面白い」と言われるほどの盛り上がりを見せた。
そして盛り上がりが繁栄されたのかキン肉マンは2020年8月より雑誌「週刊プレイボーイ」に紙の雑誌連載として復活する運びになった。
これにより「午前0時には公式HPで無料で読めるが 紙で読みたければプレイボーイを買う」という選択肢が生まれる
つまり8月に雑誌に復活するまではキン肉マンファンが(単行本待ち組以外は)全員WEB連載を追いかけていたということをまず覚えておいてほしい。
そして雑誌復活以後、作者であるゆでたまご先生による「スクリーンショットが目に余る」というツイートが投稿されたことで、ファンコミュニティはスクリーンショット自粛の流れになり、この流れそのものは誰も文句は無かった。
で問題になったのはこの先の話である
誰も「スクリーンショットを上げちゃいけません」という先生の言葉には文句を言ってないことを頭に入れておいて欲しい
スクリーンショット禁止令が出された次の週の更新日、また午前0時には週プレNEWSにWEB版が更新され、作者も自身のTwitterでURLを載せる、ファンは一斉にそれを読み。スクリーンショットを上げずに感想をつぶやきあい盛り上がっていたのだが。
まさにそのタイミングで週プレ編集部が「会社としての」見解を発表。
どういう裁定が下されるのかと思ったら
「悪質な著作権侵害、ネタバレ行為(文章によるものを含みます)に対しては、発信者情報開示請求をはじめ、刑事告訴、損害賠償請求などの法的手段を講じることもありますので、ご注意ください。」
というめちゃくちゃ強い文章を公式で発表。
全文はこちら
公式がWEBで配信した物を読んで盛り上がった人達への突然の冷水にネットは騒然となる。
何よりも混乱を生んだのはこの発言の後普通に「今週のキン肉マン こうでこうでこういう展開だった」という明らかにネタバレみたいなツイートをキン肉マン公式がRTし「感想ならいいんですよ」と基準の不明瞭な線引を提示。
公式の発売日を過ぎたものの感想文がネタバレとして訴訟される可能性が発生してインターネットが大騒ぎしてるのが今現在である
決して「スクリーンショットは駄目に決まってるだろ」などというツッコミで済む問題ではない。
もちろん過去にワンピースのネタバレを載せて逮捕された人達もいたが、彼らが捕まったのはあくまで「発売日前のジャンプのネタバレ」をインターネットに送信したからであって。
「発売日になったら公式が無料でインターネットに全部アップロードしてるキン肉マン」だと話が違う「地方だと雑誌が発売日に届かなかったりする」などの擁護意見もあったが「だったら公式HPに行けば地方でも関係なく発売日に読めるのがWEB連載の良いところなのでは?」と疑問符でいっぱいだ。
で、そこまでならキン肉マンとその読者の間だけの問題だったのだが。
ここでWEB連載のみの漫画を多数扱うアプリ「ジャンプ+」の編集長が「僕もこの声明文と同じ気持ちです」というツイートを投稿
この「同じ気持ちです」というのがやっかいで、素直に読むなら声明文の内容は『スクリーンショットだけでなくネタバレも法的措置していく』という文章に同意しているとしか受け取れないため
「週プレ編集部だけでなく、ジャンプ+編集部もネタバレ(と判断した感想)に対する法的措置を検討しているのか?」とキン肉マンの外側にも混乱が広がる形に。
いわゆる「グレーゾーンの話なのでは?」と思うのかもしれないが、この場合グレーゾーンになってるのはネタバレがありか無しかではなく「感想はどこまでがネタバレなのか」の部分なので「ネタバレしなければ感想はOKですよ」と言われても「基準が示されていない以上法的措置を検討してるんですよね…」という空気になり。同日更新されたジャンプ+WEB連載の漫画「怪獣8号」がトレンド入りするものの感想ツイートの大半が「怪獣8号 面白かった」という当たり障りの無いツイートが大半という事態に
流石に焦ったのかここでジャンプ+”副”編集長が「感想は大歓迎です」とのツイートを投稿、さらにジャンプ編集の林子平氏が「WEB連載に早バレはありません」「感想大歓迎です」
と改めて投稿する事態に発展、そもそも週プレ編集部の問題だったキン肉マン問題がジャンプ+編集長の余計な一言で「ジャンプ編集部も同じ気持ちなのか?」という形で炎症が広がっているのが現状である。
ちなみにジャンプ+編集長は迂闊なツイートをしたことには謝罪しているが「スクショを貼って無くても文章でネタバレしたら法的措置」については撤回していないので、感想大歓迎です!と言われても感想が投稿できるのかは不明な状態である。
「文章によるネタバレは法的措置 でも感想は大歓迎」と言われてもどこまで書いたらネタバレと判定されて法的措置が飛んでくるかの物差しが読者側から一切見えない状態という意味での「グレーゾーン」は同人誌のグレーゾーンとは明らかに別物で、「いつ何時法的措置されるかわからない」という不安しか産まない文言だし、ある意味この騒動では一番問題があると思う。
そんな中ゆでたまご先生は「一週間かけて一生懸命描いた作品がアップ後、たった5分で消費され SNSにスクショ、ネタバレされたら悲しいよね。」と投稿
この「たった5分で消費され」の言葉に「WEBで読んでるやつらのことそう思ってたのか…」とファンコミュニティの一部が落胆
さらにリプライで「雑誌で連載するからWEB版を消してもいいものを先生のご厚意で残しているのに」とのファンの言葉に「そうですだからWEB連載を残してるんです」というお返事を先生が返したことで、騒動はネタバレのありなしを超えて
「紙の連載に戻れたからもうWEBはいらないけどお情けで残しているという態度なのか?」という形でショックが広がる。
今後の展開は今週のキン肉マンが更新される日曜日になるまでおそらくわからないが。
「うちは地方だから雑誌の発売が遅くて」という人達でも遅れること無く手元のスマホやパソコンから発売日に即座にアクセスできるインターネット無料連載という素晴らしいシステムに対して「それの利用者はネタバレ 雑誌の発売まで待て」という謎のレトロ思想に引っ張られたのはとても個人的に悲しいし、この騒動がWEB連載という最新のIT技術を理解してない人達から「早バレ」と言われていることすら個人的なショックが大きい
ゆでたまご先生自身が「更新日の0時から熱心に読んで盛り上がっているファンがいて嬉しい」とインタビューで語っていたのもあって、雑誌連載が復活したとたん「雑誌連載が復活したからWEB連載いらないけどお情けで残している」「WEB連載で読んでるやつは雑誌に配慮しろ」「0時から盛り上がるのはネタバレ」などと手のひらを返されるとは予想だにしなかったのでただただ、そうか…これまでキン肉マンの更新日にキン肉マンの話で盛り上がったのは迷惑だったのか…と悲しい気持ちになるのみです
この問題はおそらく解決しないですし、今後も「ネタバレはやめましょう」という言葉にこの複雑な問題が単純化されてしまうのだなと思いますが、SNS上でキン肉マンについて盛り上がる時間はもう無くなったんだなと思うばかりです。
面白い悪役令嬢物なろう小説にハマった
悪役令嬢物というジャンルをご存知だろうか。
異世界転生の一種で「女性向け恋愛シミュレーションゲームに出てくる主人公をイジメる役割の金持ちの女」に転生してしまうというジャンルで、原作ゲームをプレイした知識を用いてバッドエンドを回避するためにあれやこれやと策謀を巡らせたり人間関係を調節したりするジャンルだ。
しかしながらゲームの世界に転生するというのも難儀なものである
こういうゲーム世界への転生はだいたいゲームの始まりとか、悪役令嬢物だと「主人公をいじめてたことがイケメン達にバレる瞬間」とかに放り込まれるパターンとかそういうのがある中で、今回紹介する作品は「赤ちゃんとして生まれる」ところからスタートしてしまった長い長いストーリー
を紹介したい。
https://ncode.syosetu.com/n3297eu/
現実世界ではブラック労働の果てに野垂れ死にした主人公が気がつくと、赤ちゃんになっており、自分の名前は大好きな乙女ゲーの悪役令嬢「桂華院瑠奈」だったことに気づく、しかしゲーム内で描かれていた学園生活は18歳になってから、つまりそれまでは現実世界の過去にタイムスリップしたのとほぼ同じ状態であり、この先の時代に起こることも現世の記憶でだいたいわかってしまう。
そして決定的な真実「自分がゲームのEDで主人公に負けるタイミングはリーマンショックで株式市場が崩壊する日」来る世界経済崩壊の日に向けて、とりあえず自分の家を守るため恋愛そっちのけでマネーゲームや政治工作を始める経済サスペンス!
というのが概ねのあらすじ。
この作品の面白いところは「日本という国で名家の令嬢がしかも小学校上がる前から政治的に好き勝手できるかどうか」という部分のリアリティをどうするかという点で、「微妙に違う歴史」を採用しているところ
まぁ平たく言うと日本に華族が残ったままで、第二次大戦も無条件降伏ではなく『降伏』で終わったので財閥解体も発生していないIF日本における架空戦記のようなものだ
乙女ゲーの世界に転生したのに?!?!
まぁ金持ちとはいえまだ小学校にも上がってない女の子が経済に介入する口実としての「華族家系の出身」という家柄を用いた強引な介入は時に家柄ゆえの問題に振り回される。
1990年に生まれ 2008年に迎える乙女ゲーのバッドエンドとリーマンショックの同時発生に備えると言ってもまず90年生まれの女の子が物心つく頃には目の前に広がっているのはバブル崩壊の余波にあえぐ日本である。
北海道拓殖銀行の崩壊、山一證券倒産などの歴史的バブル終了イベントの山を前に、己の現代知識(どこが潰れるか知ってる)と令嬢に生まれた故の根本的にスペックの高いボディと脳みそを組み合わせて、経済に介入地盤を固める巨大銀行を形成、さらには時の政権に介入し最悪の事態を回避していく。
さらには母方の血筋がロシア系だったことが原因でロシア王朝復活に担ぎ出すために誘拐未遂が起きそうになったりそれで警視庁公安部と接触したり。
果ては史実通りにブッシュを当選させるためにアメリカで選挙支援やってCIAに目をつけられたり。
なまじ史実を知っているが故に2002年貿易センタービルへのテロを防げぬことに歯噛みしたり…
あの…これ乙女ゲーの世界に転生する小説でしたよね?となりつつも、幼稚園、小学校と年代の進行と共に学園生活の描写も増え、ゲーム内で攻略対象となるイケメンとのドキドキイベントもあるが、それ故に「最後には主人公と一緒になった彼らが私を倒しにくる」という備えをしなければならない悲しみ。
郵政民営化を叫んで当選したあの総理大臣がこっちの世界ではよりにもよって「財閥解体!華族特権に切り込む!」なんて政策で突っ込んで来たものだからさぁ大変!引きずり降ろそうにも当時の野党の代表はハトポッポ!真正面から政治しあうしかねえ!。
ITバブル・エンロン事件・三洋電機破綻・消費税3%から5%に増税で忙しくて動けない政府
大長編で描かれる歴史経済IF日本サスペンス恋愛超大作
みんなで読もう!
美少女バトルロワイヤルに新たな風を吹き込む快作グランベルム・承認欲求が戦いの動機になりえる現代
今期のアニメで今の所一番面白いのが
「グランベルム」である
何の取り柄も無い主人公がある日
密かに開催されていた魔術師の戦いに巻き込まれ
勝者は魔力のすべてを手に入れるという…
自らの分身である巨大ロボット
アルマノクスに乗り込み戦いは加速する
そんなもはやベッタベタのテンプレートに
「またか?」と思わせつつも
実はまったく違う色と味付けをしていて新鮮なのがグランベルムである。
何より特徴的なのが主人公の小日向 満月
何も知らない一般人が突然バトルロワイヤルに巻き込まれる時
主人公となる人物は何を動機に戦いますか?
「戦いを止める?」「なんであれ目の前の困っている人を見捨てられない?」
「本当は戦いじゃなかったはずなのにいつのまにかデスゲームに」
様々な形アレど「そういう感じ」というのは固定化されてきた感じがありますが
グランベルムの主人公である満月ちゃんは違う。
最初は「私には何も無いから」と率先して人を手伝う姿を見せていたため
「衛宮士郎のように自己をどこまでも犠牲にして他人に奉仕できるタイプか?」と思われていた彼女の動機は唯一つ「承認欲求」である。
学校で誰かの手伝いを率先してやることも何もかも
彼女自信の善性による奉仕活動でも何でもない
「そうすることで承認してもらえるはず」という対価を求めて故の行動であり。
そこまでやっても「私は誰にとっても特別じゃない!!!」と満たされぬ承認欲求を抱えたグリードのような女。それが小日向満月である。
だから彼女は魔術師の戦いに参加する
優勝して叶えたい願いがあるのではない。
「戦いに勝ち抜いて優勝した人間である!」という称号を自分に付与するために。
そんな主人公をヒロインの一人であり魔術師の新月ちゃんは止める
「それは思春期特有の気の迷いである」ということを丁寧に説明する。
視聴者も「まぁこういう承認欲求の拗らせ方は思春期特有の」と思っていた
小日向満月は他人の関係性に敏感な少女だ
アニメの主人公にしては珍しい方だとも言える
「彼女はなんで私に突っかかってくるんだろう」みたいな鈍感要素はアニメのテンプレ的な感じになりつつあるが、小日向満月は「あの娘が新月ちゃんに突っかかるのはたぶんこういう事情だろうな」みたいなのを概ね察する
そして同時に視聴者に「彼女はこのぐらい他人の人間関係を把握する能力があり。その上で強烈な感情をぶつけてくる人間がいないことを指して『私はいなくなってもかまわない人間』と自称している」という事実をぶつけてくる。
自分の行動原理が承認欲求だと自覚してる上で「本当に他人がどの程度自分を気にしているかわかってるので満たされない」という承認欲求溢れる令和の時代の新主人公像ではなかろうか。
だいたいこういう承認欲求キャラって主人公じゃなくてバトロワの序盤ですぐ死ぬ役に配置されるしな…
そういう意味では主人公を主人公たらしめる動機としての「承認欲求」として
「巨大ロボットを運転する」ということの万能感を組み合わせてバトルロワイヤルに組み込んだ今作はとても楽しい。
作画によるSDメカアクションはコミカルながら迫力満点だし登場人物の感情ののった演技も相まってワクワクさせてくれる。
そして主人公に戦い方を教えてしまった新月の目的は「戦いを止める」こと。
この先にまっているのは「新月に特別な感情を向けられるために 戦いを最後まで続けようとする満月の姿」なのかそれとも?
激重巨大女と女の関係性と感情を巨大ロボットでぶつけるアニメグランベルムは好評放送中 Dアニメストアとかでも配信してるからみんなで見よう!
ねとらぼのライターが書いたリラックマとカオルさんのレビューがため息でるほど浅い
久しぶりの更新が人の悪口とはどうなんだと思うが、はてなブログはだいたい人の悪口を書くところのなのでまぁいいかという感じである。
アニメといってもCGや作画ではなく人形を使ったストップモーションアニメで
NHKでどーもくんなどを作っていたスタジオが担当しておりめちゃくちゃクオリティが高い。
で何が問題なのかというとこの記事である↓
まぁ「リラックマの闇が深いとか話題だけど本当にそうか?俺はカオルさんぐらいだめなやつだから共感できるしこのぐらいのダメさを闇とかいうなよ」みたいなヘラヘラした文章である、この人本当にアニメ見たんか?。
リラックマとカオルさんの闇というのはカオルさんが取り残されてることそのものではなく、「取り残されてる=生きながらにして死んでいる」というこの作品のメッセージ性であって「アラサー独身OLの闇」みたいなステレオタイプなそれではない
そういう話をするなら同じNetflixの「アグレッシブ烈子」の方をレビューした方がいいだろう。
1話を例に上げてもカオルさんの問題は「停滞」に示されていることがわかりやすい。
1話では「学生時代の友人との毎年恒例の花見を楽しみしているが 友人たちは家庭や仕事がありどんどんこなくなり 今年はカオルさん以外誰も来なかった」というのが概ねのあらすじである。
でそういう話を「アラサーあるあるっすねー」みたいなヘラヘラした読み方して終わってるのがこの記事なのだが ある意味「カオルさんみたいな人」という気持ちが湧いてくる。
カオルさんはこの一話で最後まで気が付かないのだが「このお花見を本気で楽しみにしてるのはカオルさんだけ」なのである、ウキウキで弁当を作り「みんな私の弁当を楽しみにしてるのよ!困っちゃうわー」などと台詞で言うほどウキウキしてるのはカオルさん一人だけで、他のメンバーの「お花見って今日だっけ」というLINEに「決めたのはあんたじゃん!!」とカオルさんはキレるのだが、この「楽しみにしてるのはカオルさんだけなのに日程は他の人に決めてもらってる」という絶妙な再現度の高いダメ人間度合いがこの作品のヤバイところなのだ「学生時代の友人と毎年集まる」ことにアラサーになってもしがみついているばかりか「来て当然」「彼氏ができたぐらいでこないのか」と「それ」にしがみつきっぱなしなのである。
でここまで書いてリラックマがまったく出てこないのだがリラックマのしごとはここから、失意の中やけ酒して帰宅したカオルさんに「お花見をしたい」とリラックマたちは持ちかけ、カオルさんの作ったお弁当を美味しそうに食べることで「カオルさんを救う」のだが、それじゃ普通のアニメなのである最後の最後にカオルさんという人間を指し示す一言が飛び出す「桜ってなんでこんなに綺麗なんだろう ピンクだからかな」
アニメの登場人物とは思えないぐらい解像度の低い感想である。
そして「私もピンクだったら良かったのかな」とこぼす
桜が綺麗な花を咲かせるために一年間頑張って生き延び冬を耐えているという命の営みとかそういう物は一切見ずに「私もピンクになれば一発解決なんだけどなぁ」なのだ
この「世界を見る目の解像度の低さ」がカオルさんなのである
だからカオルさんは性格がいい悪い以前に大事なことをこの先の話数でも取りこぼし続ける。
そして「カオルさんが取りこぼした物」は視聴者には見せてくるのだこのアニメ
4K高画質対応なのでどれだけ隅々まで見ても破綻の無いミニチュアと構図が見せてくるのである。
その「見せてくる作り」こそ闇と言われる所以であり意地の悪さなのだ、リラックマはカオルさんが挫けそうな時生きづらそうな時に癒やしてくれるが「解決」はしてくれない、それ自体はまぁリラックマだしという感じだしそれっぽいのだが、そもそもカオルさんは「何故こうなったか」に思い至ることはない。思い至ったらぶっちゃけリラックマを持ってしても癒やしきれないぐらい死ぬしか無いからなのだがそこを絶妙に解像度の低さで見ないようにしていけてるのでギリギリの綱渡りだ。
「そもそもカオルさんは毎年花見に集まってもらえるほどそのメンバーと仲が良かったのか?」「花見の時以外一切会わないぐらいの距離感なのでは?」というのが浮き彫りになっていく(リラックマとカオルさんは1話から最終話までに一年経過するので)そういう情報が全部10分のアニメに詰め込まれている情報のアニメなのである。レビューとか書くなら真面目に何周も見てそういうところまで突っ込めアホ。
で一話の話もそこそこに記事への文句に戻るのだが
3話の「リラックマに生えてきたキノコを食べる話」を「なんかぶっとんだエピソード」としてしれっと流しているが、「リラックマとカオルさんの闇ー!」みたいな話するならこの3話がその筆頭だろ!!という話である。
梅雨のシーズンになり湿気でカオルさんの家にキノコが生える中、カオルさんは会社で同僚が合コンに誰を誘うか話ているのが耳に入ってしまう。しかし「カオルさんは?」「www」「仕事はできるんだけどねー」「真面目だからねー」と誘う候補にすら入ってないことに気づく、この一連のやりとりだけで「カオルさんは?」の時にカオルさんが「呼ばれるのでは?!」と期待の表情をするのが切ない(ここで表情にこだわるために専用のメカニカルヘッドで作られたカオルさんのミニチュアをふんだんにいかした表情芸を見て欲しい)、でもカオルさんは大事なことに気づいてない「そもそもその同僚二人とそんな仲良くない」という根本的な事実をまた見落としているのである誘われるわけないだろ。
そんなこんなで「真面目すぎる自分を変えたい/変えたら合コンに誘ってもらえる人になれる」と根本を見誤った悩みを抱えて帰宅、その後リラックマの身体に生えたキノコを食って自分を変えようとするのだが…
と「真面目で合コンにも誘われない女が 自分を変えるためにキノコを」とど直球に性のメタファーな話をやりはじめる勢いがあるのだがヤバイのはそこではない。
結局食事中にカエルが家に乱入しカオルさんが食べようとしていたキノコを食べて気が狂い窓から落ちていく姿を見て、キノコを食べることを思いとどまり、リラックマに慰められてハッピーエンド!みたいな雰囲気になっているがそんなことはない。
「今までと違う自分」になろうとする象徴の行為であった「キノコを食べてみせる」を実行すると「気が狂って笑いながら窓から落ちる」とカエルは見せてきたのである。
「変わらなくても良い」とリラックマは慰めてくれるしそれで死にはしないのだが。
「カオルさんはもう理想の自分に変わるには死ぬしか無い」のである
かくも残酷なことがあろうか!。
そして雨上がり、変わらなくても良いとわかったカオルさんの気持ちにように晴れた空の下に「キノコくってキ○ガイになったまま笑い続けるカエル」を映して3話は終わるのだ…
ちなみに字幕をONにするとカエルが笑う時に「おかしくなったカエルの笑い声」という字幕がでる、めっちゃ怖い
という部分が闇なのであって『カオルが合コンに誘われないのが闇』みたいな浅い騒ぎ方しとるわけとちゃうんやそこわかるか????
3話だけでもこんだけ書くことあるねん!!!!
「確かにキノコくったりするぶっとんだエピソードはあるけど概ねアラサーOLのあるあるの範疇じゃない?」とちゃうんや!!!
このアニメが延々「変わらなくても生きていける」という癒やしのメッセージと同時に「変わらないということは死んでるのと同じ」という「永遠じゃねえ無限だよ」って話されとるんやあんたHiGH&LOW好きなライターやろ気づけや!!!
そしてカオルさんは人間関係の管理が雑すぎてもう「目ぇ覚ませよ!」って殴りに来てくれるコブラもおらんうちにええ年の大人になったから「永遠」のまま「一生無限になれない」ことを定めづけられとるっちゅうのを浮き彫りにするのが5話の幽霊回と9話の雪だるま回でしょ!!!!
4話が「優柔不断で何も選べないカオルさんと 選ばなくても良いと癒やしてくれるリラックマ のように見せかけて実は他人にオススメされたことの反対を即座に選ぶ性質があり 何も選べないと言いながら即決でビール買ってるカオルさんが画面に映ってる」のがリラックマの闇であって「その手前の優柔不断で選べないカオルさん」だけ見て「こんなん俺と一緒ぐらいのだめさだよ」ってお前はこのアニメの何を見てたんやしげる!!!!!!!!!!!!
ちゃんとアニメ見ろや!!!!!!!!!!!!
このアニメはそこまで踏み込んで視聴しても良い懐の深さがあるからこんだけ話題なんだやねん「なんか闇闇言われてるから見たけど ちょっとだめなOLあるあるじゃん」ってそれじゃ「カオルさんと一緒の」意味合いがだいぶ変わってくるやろ仮にもライターやっとる人が「映像作品に対する解像度が低い」という意味でカオルさんと一緒になったらあかんやろ!!!!
ananのリラックマとカオルさん特集でも「説明しすぎない」「何回も見てもらうと発見がある」監督が言うてはんねや!!レビュー書くんやったらそんな適当に流し見したような感想かかんと「レビュー」を書きなはれや!!!
レビューを!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
ただリラックマとカオルさんそのものは「そこに気づかないままリラックマが可愛いのを見るだけでも良い」という「選ばなくても良い」アニメでもあるので、これから見る人は自由に見て欲しい
でも「闇」がどうこうの話に踏み込むならここまで踏み込んで見て欲しいよ
「理論上面白い」を目指して~Vtuberのプロデュースはじめました~
お久しぶりです、キングギドラになりたかった男ねおらー30です
Twitterが凍結されたりなんやかんやあったりしましたが
久々の記事更新です。
実はバーチャルユーチューバーのプロデュースをはじめました
南海の神系Vチューバーの「ラン☆ガタロウ」君です
バーチャルユーチューバーを作るという計画は前々からあったのですが、
LIVE2Dの使い方などを勉強したり、中の人の発掘などをしているうちに
2019年になっていましたね。
で、このバーチャルユーチューバーですが中の人は面白くないです。
しかしそれを「これまで長年視聴してきた実況ゆっくり実況その他諸々いろんなあれそれ」の技術をパクリにパクった編集をすることで「理論上面白いもの」に仕上げるというテーマが彼を運営していく上での方針となっております。
面白いゲーム実況者というのは編集の力がいりません
僕が好きなゲーム実況者は字幕すらつけません
どうでもいいシーンを少しカットするだけで
録画録音したものをそのままお出しするだけで100点のおもしろさです
そこから更に面白い編集を加える人もいるので150点の面白さが出てきます
ゆっくり実況は逆に編集の連打です
何せゆっくりボイスそのものが後から編集で加えたものなので
いろいろな編集が付け足されています。
そういう編集の全てを注ぎ込んで中の人の面白さ10点の動画を
編集で60点まで上げられないか。
突き詰めて90点まで迫れるのではないか?
ということでプロデュースを開始して一ヶ月が経ちました
この方式の最大のデメリットは録画した生の動画は面白くない部分が大半なので
編集にめちゃくちゃ手間がかかります。
最新のけものフレンズ2=MGS2説動画に至っては5分の動画を作るのに一週間かかるというアレっぷり。
あかなすちゃんとのコラボ実況動画はその点本当に助かりました
なんと録画された映像が既にだいたい面白いため編集がとても楽でした
あかなすちゃん本当にありがとう
そういうわけで今こういう活動をしていますという久々の活動報告でした。
ゲームって自転車みたいな物だと思う
※今回の記事はただの日記であり、書かれていることには特にエビデンスがありません
筆者はKSPというゲームが好きでよく遊んでいる。
このゲームは複数のパーツを組み合わせてロケットを作り打ち上げるシミュレーターゲームで、リアルな軌道計算により月に近づくと月の重力に引っ張られて軌道が変わったりすることを上手く計算しながら火星に着陸してそのまま地球に帰ってこれるロケットを設計したりできる。
しかしながらこのゲーム、ロケットの組み立てがめちゃくちゃ自由な上に「どうやったらまともに飛ぶのか」は教えてくれないので、めちゃくちゃなロケットを組み立ててそれが打ち上げ失敗して爆発する様を笑うという遊び方もあり、そちらをメインにしたプレイ動画も多数投稿されている、最近だとVチューバーのまぐろなちゃんなどが酷いロケットを爆発させていた。
(どんなに適当でも燃料とブースターさえあれば打ち上げることができる)
ここで本題になるのだがこのゲーム「どうやったらまともに飛ぶのか」を学んでしまうと失敗しなくなり「打ち上げに失敗して変な方向に飛んでいくロケット」を天然で作ることができなくなってしまう、無論自由なゲームなのでわざと作ることはできるが「天然物」の面白さには敵わない、私が今作るめちゃくちゃなロケットには「ウケ狙い」の薄ら寒さが付き纏う。
私はこの現象を「自転車に乗れるようになった人間は、乗れなかった時のことを思い出せない現象」と名付けることにした。
ここで気がついたのが
「全てのゲームには自転車に乗れるようになった瞬間のような上達ラインがある」ということである
格闘ゲームであれば「波動拳昇竜拳が正確に入力できること(勝てるかどうかではない)」
STGであれば「敵をどの順番で撃てば高得点になるかのパターンでプレイするようになること(クリアできるかどうかではない)」
戦略シミュレーションゲームなら「戦略を立てること(何を言ってるんだと思うがこれが難しいし筆者も出来てない)」
パズルゲームなら「連鎖できるようになること(3連鎖が確実にできる)」
この領域にたどり着いて初めてそのゲームという”自転車”に乗れるようになり
人はそこから自転車を「乗りこなす」領域に入るのだという気付きである。
Eスポーツはいうなればここからサイクルロードレースの選手を目指す道だと考えると筋が通る。
各ジャンルの「このゲームジャンルは衰退した!」的な論も「自転車に乗れるようになる前に諦める人が増えた」という言い方にすると理屈がわかってくるし「このジャンルは自転車に乗れるようになってないと面白くないです」という世界ももちろんあるわけで、ゲームを自転車に例えると何もかも筋が通って見えてきた気がした。